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第五章.......マンダラと数字



 金剛界マンダラの中央の方形は、成身会(じょうじんね)といって金剛頂経の基本原理をあらわし、根本成身会とも言う。行者はこのマンダラを前にして印を結び、心を統一してゆく。すると、マンダラ上の像と感応し、仏身と一如となる。その瞬間を、「即身成仏」という。そして、これを瞬間の悟りという。 

 「成身会」という言葉は、「仏身と成る」の文字の中から、「成」と「身」の字をとりだして作られた。「成身会」は、それだけ、「悟り」には重要なところだ。成身会のなかでも、中央の主尊が最も重要で、周囲にある菩薩は、化菩薩ともいい、主尊の威力の一部を象徴している。諸菩薩は、中央の主尊の力を働きの分野別に表したものといわれる。中心仏が万物の永遠性をしめし、諸仏菩薩がその作用と顕現をしめしている。中央の一神仏が一切の原点と見るのがマンダラであり、数多くの諸仏はその顕現の展開といわれるのはこのためだ。 

「日光はよく遍く法界を照らし、またよく平等に無量の衆生の種々の善根を開発す」 

主尊は、そうした存在である。

 4仏は主尊(本初仏)と単一であるが、複合している。
この大日如来を主とし、阿しゅく如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来如来の四仏をたて、五智に配して完全な円光構造を作る。聖書では生きた霊、ケルブと言う。このことは後に詳述するだろう。

 さて、マンダラは主尊を中心としたその形状は「金剛頂経」の示してあるとおりに視覚化したものだといわれている。しかし、だからといって、金剛頂経からどうしてこのようなマンダラが描けるのか、実は誰でも簡単に描けるというマニュアルがあるわけではない。むしろ、このマンダラは主尊の姿を霊的な目で視た構造的表現である。それゆえ、描いてみせるという手法がマンダラの偉大なる価値であり、そこに東洋の大いなる慈愛を見いだせる。 

 金剛界マンダラは、中央に大日如来、下東に阿しゅく如来、左南に宝生如来、上西に無量壽如来、右北に不空成就如来という如来を配している。

そして、阿シュク如来は、water、無量壽如来は、fire、不空成就如来は、air、宝生如来は、earthとなる。 

 中尊は単一であり、かつ複合している。陰陽の消滅した相であり、不滅である。それ以下のいっさいには光と影がある。 

 「在りて在るもの」は、しかし、はじめ無相だった。現実になんの作用も与えることがなかった。そこで、光と時間と物質となって、遍く照らすことになった。「陰陽」、または「+と-」のエネルギーを波動として放出した。

さらに、この両者を堅く結びつけるのは、中尊自身だった。こうして、霊は光と時間の流れのなかに万物を生み落とした。これで、この+と-を切れば、再び、+と-を生み出す無限の霊力を担った。 

「道は名もなし相もなし。1なる性のみ。1なる原神なり」

タオでは、これを「玄」という。 

「タオは1を生じ、1は2を生じ、3は万物を生ず。万物は陰を負うて陽をいだき、沖気、もって和をなす。」 

 こうして、一切は1にはじまる。[1]に陰陽が生じ、[2]極を見いだすが、三位一体という意味で、[3]であった。

 いわば、ひとつの天秤が生じた。天秤の支点は中であり、中とは神ご自身をさす。このように、1は2を内包するようになったので、つぎに[4]が生じたときに、いっさいの精神が有産性を生じた。 

[3]は、こうして、ひとつの本質的単位となる。3つはひとつの霊力で、つねに三位一体であることがわかる。

「3」のひとつの単位は、陰陽と1つの中の合体されたものだ。 そして、それは、つねに1を離れて存在することがない。いわゆる三尊思想は一仏三尊のことであり、 三体をもって常に一つであることを訴えている。

 ヒンズー教の3神は三位一体神で、それぞれ化身として表われる。

創造神として    ブラフマン
維持神        ヴィシュヌ
破壊神        シヴァ

 3つが切り離せないというので、1に転ずる。
こうして、霊の単位「3」が、4xnに増えていって、精神現象が完成する。
悪を破壊するシバ神の踊るブロンズは、4本の腕と手を持って天を舞う。ヒンズー教では、シバ神はブラフマンを体現するものだと言われる。破壊と、創造と、維持(平和)と悪魔からの解放を、4つの手がそれぞれ象徴する。
 物質を現出させる情報ビットは、3をベースに(3x4n)という倍数でなりたち、精神(細胞)活動は3をベースに(4n)で成り立ってゆく。 

 精神の活動は、4に象徴されうる。1+4の五仏構造はそれだけで、あらゆる生物の原形となりうる。4極は、最初の魂のコアだからだ。

 さて、日本の胎蔵界マンダラや、チベットのマンダラには四菩薩が配されている。 チベットのマンダラは明妃(シャクティ)が描かれているが、4仏が明妃を得て多くの生命を出生するという考え方はインドの女性崇拝の思想から来たらしい。しかし、そもそもシャクティやプシケーは現象が生み出されたものであること・・・・において、すべては万物は母性の産物であるとされるのである。

 チベットのマンダラには身色が原色で施されている。それは悟りに導く重要な色光を保持していることを意味している。4仏は原色を基調に彩色がされているが、これらの色は中央の「主尊」の振動の変調であり、万物の基本的な振動の構成を導く顕現プロセスである。色彩がなければ一切の顕現はあり得ない。つまり、光にとって色彩は顕現する唯一の属性だからだ。
瞑想のとき、色光が自覚されるのはこうしたわけだろう。
 さて、このマンダラの4仏の円光はわれわれが暝想中に眉間(目と目の間、仏教では中黄、道教では縁中)から柔らかな光芒を放つように見える。目蓋は閉じていても開けていても光芒は暗闇に消えることがない。

 光は丸いオーロラのように動きまわる。、またはパイナップルの輪のような光芒が眉間から小さくなりながら遠ざかるような挙動を示す。青紫(ヴァイオレット)の輝きは暝想しているとき、もっとも表れやすい、そして安定した光彩だ。青紫は、暝想者が必ず出くわす輝きである。


○一遍上人と紫色の雲  


遊行の捨聖と言われた一遍上人の歌に、何かにつかれたような、しかし、なにか大きな喜びと、熱気を感じさせる歌がある。 


「我見ばや 見ばや見えばや 色はいろ 色めく色は 色ぞ色めく」
  この意味のよく分からない歌は、それだけに痛切に一心をそのまま表現している。だれかれが分かろうと分かるまいと、歌にすればこうとしか言えない。仏の世界は、さまざまな色の宝珠でかざられる。その光明は、はかりしれない。

一遍上人が、初めて阿弥陀の住まわれる浄土の光(空性の光)を見た歓びを言い尽したかった歌である。弘安五年、北条時宗が執権職にあるとき、一遍は鎌倉入りした。鎌倉の町中の道俗を含めた民衆は噂を聞いて、ぞくぞくと一遍のもとに集まった。三月七日に片瀬の浜の地蔵堂で、一行が踊念仏を始めると月末にもなると、紫雲がたなびき、花が天から降り始めるという奇瑞があらわれた。人々は、この奇瑞に驚き、目を見張った。そのとき、一遍上人が詠んだ歌がある。 

「花のことは花にとへ、紫雲のことは紫雲にとえ、一遍しらず」
 (聖絵・第6) 


 民衆は天から花びらが降り、紫の雲の光に、奇瑞だ奇瑞だといって大騒ぎになった。一遍のこの時の感慨は深いものがあった。だが、阿弥陀仏の計らいとして、この瑞兆を自分の手柄のようにはしなかった。「一遍しらずと」、さらりと言ってのけたと言われるのがこの詩だ。 

 この「紫」の雲というのは、すべての踊る民衆の目に、紫の聖なる光が映じて、白い雲が紫色に染まったように見えた。白い雲はあくまで、白い雲であったし、門外漢には、やはり白い雲にしか見えなかったに違いない。


○レーリッヒ・ブルー  


 ニコライ・ レーリヒというロシア人の画家は日本ではあまり知られていないが、「ヒマラヤの画家」として有名。ヒマラヤを描きつづけて北インド・クルー渓谷に生涯を終えたロシア人である。生涯、シャンバラを追いもめたロマンの画家といわれる。ニコライ・コンスタンチノビチ・レーリヒ(1874~1947)。ニューヨークには彼の作品を集めた美術館がある。
独特の青い色で、ヒマラヤのさまざまな自然の風景を描いた画家としてヨーロッパでは有名であり、その独特の色彩は彼の名を冠してレーリッヒ・ブルーと称されている。彼もまた、白い雪を頂いたヒマラヤ山脈が青紫色に染まり、その色彩が目に映じたのだろう。空の光りが、ありありと山々に投影して見えた。それは、現実の光ではないが、青い光は驚くほど美しい。彼はその非現実の色彩をたくさん絵に描いた。その作品は気高く神秘的で、見るものを神聖なる感情に導く。青紫色は「聖なる世界」との接点(中間)に表れる。(体験的)色彩であり、たいへん神秘的で、重要な色彩だと言える。 

それが、彼がどんな宗教に属しているのかは関係のないことだ。だが、色彩は決してうそのない真実の一面をもっている。 

「実際、チベット密教では、暝想の技法がもたらす『青の体験』と、その派生するさまざまな光と色彩体験がとてつもない重要性を持っている。とりわけ、生起次第の暝想や「プラーナ」と呼ばれている生体エネルギーを制御する暝想をマスターして、自在に意識の深層領域に下降していくことができるようになった密教者たちにとって、(それは自明の常識であるかのようだ)そのつぎに取組む、さらに高度なゾクチェンやマーハームドラーなどの密教体系において、『青の体験』はその中心テーマとなっている。」 

(「雪片曲線論」中沢新一、青土社刊、色彩の胎生学から) 

 青紫の色は、内なる体験として遭遇する最初の安定した色彩である。青とか、紫とか言われるが、たしかに言えることは、いずれもヴァイオレット(すみれ)という色彩であって、その動きは一切の心の働き掛けに影響されない。この中心の光は微妙で、静かでリズミックに自律的に運動をくりかえす。それは、次第に形をなして、円となり、一定の秩序をもった光のマンダラとなって、知恵の目に映る。ユダヤのカバリストは、青い光の体験を次のように表現している。立ち昇る炎のなかに見える青い光りの両義性にふれて、こう書いている。

「(青い光は)2つの側面に関わる。それは上方の(神的な)あの白い光に関わり、また、その下にあり、それが輝くのを可能にする、あの下方の(物質的な)素材にかかわる。しかし、この青い光は、人がそれに与えるあの素材を食い滅ぼす。なぜなら、この青い光は、下方のこの素材(感覚器官)に烈しく結びつき、その上に座せば座すほど、それだけ、ますます強烈にその素材を貪り食うからだ。というのも、食い尽くし、滅ぼしつくすというのは、その本性だからだ。だが、万物の消滅や万物の死は、それに依存している。まさに、それゆえにそれは、その下にある一切を食い尽くすのだ。だが、その上に安らぐあの白い光は、決して食い尽くしたり、滅ぼしたりせず、そのままである。」意味するところは、中間にあるということだろう。 

(ケルショム・ショーレム『ユダヤ教伝承および神秘主義における色とその象徴論』高尾利数1975年河出書房新社) 

 青紫色は、霊的空間と物質的な空間の狭間にあって、この両方を繋ぐ橋として表れる。つまり、境界の内火なのである。青紫は、黄色の光の反対色で、青紫がまなこを支配したら、次には黄色が現出する。現われる光は、混合して、やがて調和されたあの永遠の白い光りに到達する。しかし、白い光は、われわれには無色であって、それは明暗でしかない。たしかに言えることは、それは逆に見えなくなることである。したがって、瞑想中に現ずるの最高位はヴァイオレットで、それ以上は色はない・・・としか言いようがない。



 神秘的で幻想的なシャルトル大聖堂のブルー(シャルトルのブルー)は有名である。パリから一時間あまりの郊外にあるこの大聖堂には「シャルトルのバラ」といわれる美しいステンドグラスがある。このステンドグラスからチャペルのなかにさしこむブルーの光線はじつに幻想的で深遠で、そのまま玄妙な空間をつくりだす。

 さて、「禁色 」という言葉がある。天皇によって許可されなければその色彩の衣を着ることができなかった。禅林では、紫の衣は住寺にのみ着用を許され、それも朝廷の刺許に依っていた。江戸幕府は1629年に、例外的に朝廷の刺許に依って与えらていた大徳寺と妙心寺の二寺にたいして「紫衣法度」なるものを押し出し、紫衣資格を剥脱する手段をとった。もとより、天皇の権威にも挑戦とも受け止められるこの法度は、ようやく豊臣家の息の根を止めた幕府の権威を示すものであった。法度の内容は禅林を揺るがす大問題に発展した。この、紫衣問題の渦中に巻き込まれ、流罪となり、のちに家光によって許され、復権したのが沢庵和尚である。
歴史はともかく、「紫」をめぐる大事件があったのである。紫は、日本でも最高位の色彩として見られていたことは察せられると思う。 

 また、神道系の幕、紫綬褒章の例を持ち出すこともできる。紫しん(天子の御殿)、紫都(帝都)、紫禁(天帝の座)、紫の宮(皇后)、紫雲(めでたい雲)など、紫は高貴で、聖なるものとの接点に登場する。さらに、驚かされることには、ローマ皇帝の着られる肩掛は紫で、他の一切の臣下は紫の着衣は許されなかった。そして、仏像を包む服紗はたいがい紫であるし、祝いの水引もまた紫だ。
紫の色彩は人々に、どのような感情で受けとめられているのだろうか。 


紫で心理的に感じるものは、次のようである。

「深遠・幻想・神秘・荘厳・高尚・優美」
(1951年色彩感情価値調査)
 
心理学的にも一般に感じとる印象は共通で、統計的に証拠付けらる。



○接神の普遍性  


 宗教の根本的共通性をどのような物差しで統一するかは比較宗教学の分野になる。人類の神仏の普遍的イメージをどこに見いだすかというと、全人格的思惟(暝想)という観念で切っている卓越した説がある。 「比較思想論究」玉城康四郎著(講談社)には、「ダンマ」と「プネウマ」の論旨が深い内容を含む。ダンマとは「dhamma]、通常ダルマ(法)という。
ゴータマがネランジャラ河のほとり、ウルヴェラの森で悟り、その後7日間、ピパラの樹の下で暝想に浸ったとされている。「律蔵」と、「ウヴェーナ」にその暝想の7日間の初夜、中夜、後夜の3時にげを唱えているとある。

 「実にダンマが熱心に暝想しつつあるバラモンに顕になるとき、そのとき、かれの一切の疑惑は消失する。というのは、彼は縁起の法を知っているからである。」(初夜のげ)



「実にダンマが、熱心に暝想しつつあるバラモンに顕になるとき、そのとき、かれの一切の疑惑は消失する。というのは、かれはもろもりの縁の消失をしったのであるから。」(中夜のげ)



「実にダンマが、熱心に暝想しつつあるバラモンに顕になるとき、彼は悪魔の軍隊を粉砕して、安立している。あたかも太陽が虚空を照らすがごとくである。」(後夜のげ) 


 ここにいうダンマが、暝想中に顕になったということが3つのげに共通している。ダンマとは「法」(理性的な教え)という意味ではなく、もっと、ダイナミックに神仏の本源のような超越的存在を指す。それが顕になったとは内在された意識で遭遇(観た)ということであり、神仏のロゴスと自己に内在された意識が一体になったことである。こうした体験を「大悟」という。

太陽が虚空を照らすがごとくそれは輝き、それは闇夜に勝っていたのである。

「甚深、微妙、精細にして知り難く、激情にとらわれたるものや、無明に覆われたものには悟りがたい」
(相応部教典)  

 すでに、与えられているものを、自覚しするということである。人は自覚しなくても、すでに、本来仏の世界の一部である。だが、自覚するということは無明に囚われていてはできない。修業とは自覚してゆく課程である。 このダンマは、奥深く、精妙で、衝動の強いもの、つまり、この世の現象ばかりに心を向けているものには観ることが難しいということだ。 

「わたしによって証得されたこのダンマは、甚深であり、理解しがたく、悟りがたく、・・・。しかるにこの人々は、アーラヤ(5欲)を楽しみ、アーラヤを喜び、・・・。アーラヤに喜悦する人々には、この状態は理解しがたい。・・・たといダンマを説いてもわたしは疲れはてるだけであろう。」   ・・・(律蔵の大品) 


 この世の生活ばかりに意識を囚われ、自己の欲望にのみ振り回されている人々には、このダンマを知ることは到底できないものである。

 マーヤ(5感の幻想)は虚しいと知るもののみ、真理を知りえる。 
ダンマを観ることそれは悟りに到達することであり、ダンマを直接説いても人々は理解できない。ここにいうダンマとは「法」という言葉による教えとは別な意味であり、言語を超越したなにか(法身)である。 

「尊敬すべきものがなく、従うものがないのは苦の生活である。わたしは、いかなるしゃ門、あるいはバラモンを尊敬し、尊重し、接近して安住すべきであろうか。」 

「たしかにわたしは、わたしによって悟られたこのダンマを、尊敬し、尊重し接近して安住しよう。」 

 もう、わたしに師はいない。ダンマこそ、安立であり、永遠である。己れの心、ダンマのほかに師を求めてはならない。大悟の結果、釈尊は一切の教えをダンマに向けた。 


「不死が得られた。わたしは教えよう。わたしはダンマを示そう。おまえたちは、教えられたとおりに実行するならば、久からずして良家出身のものたちが正しく家からでて出家者となった、その目的の、無上なるぼん行の究極を、現実において自ら知り、証し、成就して住するであろう。」 


 ダンマはありて、あるものであり、それぞれ自ら体験的に知る以外にないものである。それは、神仏のあらわれであり、自らを見ることでもある。

 象徴は象徴であり、真如は確かに誰もが見ることができる実在である。
誰でも仏性(ブッタ・フット)をもつ。ゆえに、悟るとはダンマを知ることであり、それを証し、この身のまま悟ることである。 

 それは語りがたく、伝え難くこの世の尺度と言語では、比喩をもってしても不十分である。したがって、体験なくしては真に安立するには不十分である、そうしたあるものであろう。しかし、無明に囚われているものには見ることが難しい。
それゆえ、ブッダは、「教えられたとおりに実行するならば」、現実において、生きたまま、自らダンマを知ることができると言った。 生きながらダンマを知ること、すなわち「即身成仏」といえる。 

ダンマに親しむものは 眠り安らかなり こころは楽しく清らかなり 仏の説きしダンマのなかに 知恵の眼は おのずと開くなり。          法句経(79) 

 ダンマを日々暝想するものはおのずと知恵の眼が開く。ダンマは、この世をも照らし、この世に現出している。ダンマはこの世を在らしめ、この世と表裏一体である。ダンマはあり、すでにあり、永遠にあり、過去と未来の相をともにもつ。ダンマはゆえに安立である。
涅槃にゴータマは記憶すべき一言を弟子に残している。

自らを光とし、自らを拠り所としダンマを光としダンマを拠り所とせよ他のものにたよってはならない
。 

 ダンマは光りを本質とする根源的リアリティであり、真言密教では大日如来、もしくはヴィルシャナ仏(光の仏)尽十方無げ光如来と呼ばれているように火のように輝く白い光芒である。それは、「空」であるが、「無」では決してない。ヴィルシャナ仏は一切の根源であり、無相(透明)であるが、全世界を照らす強力な波動である。諸仏の光の源であり、万物を生かす太陽のようなものだ。

 それゆえ、諸仏はさまざまな色彩の光芒(光の輪)を放つばかりでなく、美しい対称性をもつ光芒のコスモス(秩序)である。自らは光であり、ダンマは光である。ダンマのみを拠り所とせよ、釈尊はそう言った。そして、それを悟ったものは、移ろうものは一切は無意味であるという。

 ダンマ以外は、無意味であり、ダンマは慈悲であり、ダンマは慈悲以外の何物でもない。
それ以外は、すべて、偽物であり、マーヤと知る。マーヤとは、我執であり、自分で作った垢であり、真実のものではない。マーヤは、無意味であり、虚しく砕け散る。


あらゆる生の苦悩や葛藤は、過去と未来の認識によって生起される。過去と未来のイメージなり論理であれ、すべて時間的な連続性に一定の整合性(1998年は1999年の前年であるといった単純な意味)がなければならない。この整合性はじつは言語能力がなければ生じない。すこし、違った面から説明してみよう。言語能力のない動物は、意識には脈絡のないイメージのフラッシュしかない。結局、彼らには苦悩や葛藤は生起しない。
畢竟、過去と未来は、実は、すべて個々人の”概念”、別な言葉で言えば、”言語的情報”のなかにあり、そこに潜んでいる・・・としかいいようがない。
釈尊はあらゆる概念が、すべて幻想、偽者であることを知りぬいていた。
このことの意味はかなり大きい。
苦悩や葛藤、さらにいえばカルマでさえ、その一切は幻想(マーヤ)であって、ほんらい無意味なものだ。
宗教、哲学の伝法が、活字によって、あるいは説教によっている以上、言語能力をもつ者が対象となることを否定できない。ここに、おおきな矛盾があるのである。
つまり師が弟子に言語をもって指導している限り、言語能力者特有の病苦の対症療法(カルマの軽減)を行っているにすぎない。カルマの解消や抜苦与楽の教えは、いわゆる顕教に属するといえる。密教は、はじめから「すべては無意味だ」というのが始まりなのである。


○マンダラと「七」という数   補追   3/13/1997
 

 七つのたいまつのような光が、霊力をもち、全一なる主尊の周囲を飛び交っている。あたかも主尊の使いのようである。稲妻を発するような恐ろしい光ぐあいである。主尊をまもる番人のなのだろうか。
それとも、諸尊とのなんらかの連絡をになっているのだろうか。いったい、なんのために7つの光は存在するのだろうか。
 7つの光は彗星のように前方に彗星の尾のような光をまっすぐに伸ばし、朱網のなかをものすごいスピードで動いている。七宝とは、このことなのだろうか。
北斗七星が描かれた星マンダラはなぜ多くのマンダラの中で少数派なのだろうか。
ほかのマンダラにはどうして、七星が描かれなかったのだろうか? あまりにも、謎を秘めている。

七星はマンダラを語るとき、あたかも盲腸のように忘れ去られている。しかし、七星はマンダラのなかに存在する。盲腸が実は大変重要な器官であると見直される時が来るかもしれない。そのように、やがて七星が主尊とともに必ず語られるべき日が来るだろう。
 なぜ、七星について著者自身がきわめて引付けられたのかを述べることにしよう。それは、ヨハネの黙示録に、神のみ座のまわりには7つの灯火が燃えていた。そして、これらは神の7つの霊(Spirits)である。という一節を見てからである。
稲妻と雷鳴を発して、燃える炎のように光って、上下に動いている。こんなものが、み座のまわりにあったというのである。

「この生きもののうちには燃える炭の火(Lamps)のようなものがあり、たいまつのように、生きものの中を行き来している。火は輝いて、その火から、いなずまが出ていた。

 エゼキエル書でも、ほぼ、どうようなことを書き記している。重要なのは生き物の中を行き来しているということである。これは、根本会のなかを稲妻のようにひかり、雷のようなとどろきを発し、そしてすばやく行き来しているといると解釈できる。
 じつは、このことははじめ、あまり私を惹きつけるものでもなかったが、北斗七星が描かれているマンダラがあることを知ってから、たちまちにしてわたしのなかで大きな魅力を放ってきた。星マンダラ(別尊曼陀羅)という種類のマンダラである。どういうわけか、7つの星というものに惹きつけられるのは、七つの星はさまざまな神話や寓話、童話に見いだせるからである。七という数にも神秘的な意味がありそうだ。

<第五章完>

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